1988年に東京都豊島区で母親のネグレスト(育児放棄)により起きた巣鴨子供置き去り事件。
この事件は今も語り継がれている事件ですが、母親と長男はその後どうなったのか?
事件の詳細や発端などを含めてまとめてみました。
Contents
なぜ巣鴨子供置き去り事件が起きたのか?真相まとめ
巣鴨子供置き去り事件は1988年に起きた母親の育児放棄におり起きた悲惨な事件です。
まずは巣鴨子供置き去り事件というと
父親が蒸発し母親も4人の子供を放置して自宅を出ていったことにより白骨化した次男の遺体が見つかったことから始まっています。
そして長男の証言によれば母親がいなくなったあとは長男が兄弟の面倒を見ていたようですがジャンクフードばかりを食べていたことから栄養失調に子供が栄養失調になってしまっていたようです。
長男は、いなくなった母親の代わりに食事を作ったり、おむつを取り替えたりしていた。また、毎日のようにコンビニを訪れては菓子パンやおにぎり、アイスクリームなどを買っていた。コンビニの店長は「夜中の2、3時に来たり、学校のある昼間の時間帯にもしばしば見かけたりするので、変だなあと思っていた」と話していた。
引用元(dt73)
そしてこの巣鴨子供置き去り事件の当事者として
・長男(1973年生まれ)
・次男(1984年生まれ)
・長女(1981年生まれ)
・次女(1985年生まれ)
・三女(1986年生まれ)
そしてこの中で次男と三女がこの巣鴨子供置き去り事件にて亡くなっています。
なぜこの悲惨な事件は起こったのか?
概要をまとめていますので是非ご覧ください。
長女が生まれて以降の子供は出生届が出されていない
母親は複数の男性と関係を持っていましたが誰とも長続きしていません。
おそらく子供の父親もそれぞれ違うのではないでしょうか?
そして母親は1987年に出会った男性と同棲するために子供をマンションに残して出ていったわけですが、長男と長女が生まれてい以降の子供は出生届が出されておらず自宅で出産しているそうです。
このことからも子供に対してまったく愛情がないことが分かります。
母親は長男に家を任せて生活費数万円を送っていた
1987年に母親が恋人と同棲するために家を出ていったのですが子供の面倒を長男に任せていたそうです。
そして母親は生活費として数万円を送金し時々様子を見に行っていたようです。
千葉県浦安市の冷凍食品販売業の愛人(56歳)ができ、愛人のところに入り浸るようになった。長男の話では62年秋頃から「仕事で大阪に出張する」と言ってマンションを出たままだというが、母親はときどき2・3万円ずつ送金してきたようで、たまに姿をみせていたこともある。
その後、63年の正月に一度戻っているが、子どもが邪魔になってマンションに置き去りにし、千葉県内の愛人のマンションに同居していた。長男には千葉県の住所を教えていた。
引用元(dt73)
2~3万円で子供にすべて丸投げして愛人のところに行くという母親の神経が理解できません。
当時自宅は長男の友達の溜まり場だった?
当時、自宅は長男の友達が訪れていたようです。
そして三女は当時2歳だったのですが泣き止まないため友達が怒り押し入れの上から三女の上に飛び降りたりして暴行を加え三女が死亡しています。
「三女が死亡する致命傷は、長男でなく友人が押し入れから何回も落としたことによる」と長男の弁護士は述べている。
三女が死亡したあと、長男は母親が次男が死んだときにやったことを真似た。ビニール袋に死体を入れ消臭剤を入れて押し入れにしまいこんだ。しかし消臭剤の量が足りなかったのか、たちまち臭くなり家には置いてはおけない、ということになった。
引用元(dt73)
このことからも長男は三女の死に関わっていることが分かります。
不審に思った大家が通報したことで発覚した
上記でも説明しましたが長男の友達が訪れていたことから大家が不良の溜まり場になっていると通報し巣鴨署がマンションを調べたところ長男、長女、次女、そして白骨化した次男の遺体が見つかったそうです。
「親は帰ってこないし、不良のたまり場になっている」という大家の連絡で、巣鴨署員がドアを開けると長女と次女がいた。大家がバナナとおにぎりを差し出すと、むさぼるように食べた。
長男は「夜の商売の人の子どもで預かっている。母は大阪に仕事にでかけている」と説明した。
引用元(dt73)
そして三女の遺体は秩父市内の林に埋められていたそうです。
長男は昼間もブラブラしていたそうですが不審に思った人が「どこの小学校?」と聞いたところ「立教小学校」と答えていたようです。
このことから巣鴨子供置き去り事件が発覚し長男に事情を聞くと「母親は出ていった」と答えネグレスト(育児放棄)であることが判明。
相談相手が誰もいなかった?
母親がいなくなったことからこの事件が起きたわけですが、子供もこの状況を誰かに相談できれば巣鴨子供置き去り事件という世間が騒然とするような事件にまで発展はしなかったのかもしれません。
もちろん母親も父親が蒸発し両親に結婚を反対されていたそうなので、この状況から踏まえても母親も相談相手がいなかったというのは間違いないでしょう。
巣鴨子供置き去り事件の母親はどんな人物?
上記でも説明した通り巣鴨子供置き去り事件の発端は母親のネグレスト(育児放棄)が原因で起こった悲惨な事件であることが分かります。
このことからも母親はク〇であることが分かります。
この母親はどんな人物なのか?
巣鴨子供置き去り事件の母親は神奈川県川崎市の私立高校を卒業しています。
そして将来は歌手になることを夢見ていたという情報もありCDをリリースしていたとも言われています。
ただ歌手としては鳴かず飛ばずで知っている人はほとんどいないです。
仕事はデパートの派遣店員をしていたようでここで出会った男性と結婚することとなります。
ただこの結婚には猛反対されていたようですが、反対を押し切り結婚したのです。
巣鴨子供置き去り事件の子供が5人だが母親は6人出産している
巣鴨子供置き去り事件での当事者となった子供は5人ですが、実際のところ母親は子供を6人出産しているそうです。
そのうちの1人はすぐに養子に出されていて事件に関係がないことからこの子供の存在が明らかになっていません。
そして巣鴨子供置き去り事件の当事者となった子供5人は全員父親が異なります。
母親が愛人を数々作って妊娠して自宅で産んだということで子供の父親が全員異なるわけです。
巣鴨子供置き去り事件の母親は父親が蒸発後、嘘をつき続けている
母親は父親が蒸発後、嘘を塗り重ねて生きていくようになったそうです。
周囲の人間に「私は慶応大学を出ている」「三越の外商部で働いている」「亡くなった夫は外交官」「息子は立教中学校」などなど。
これはもちろんすべて嘘であり、息子は名門中学どころか学校にすらも通うことが出来ていません。
何故なら出生届がされていませんからね。
巣鴨子供置き去り事件の判決で母親に有罪判決が下る
1988年8月に母親は保護責任者遺棄致死罪で逮捕され懲役3年執行猶予4年の有罪判決が下っています。
これだけ世間を騒がせた事件の割には軽いように見えますが、おそらく父親が蒸発したという状況が加味されたと考えられます。
長男は傷害致死・死体遺棄の容疑で養護施設へ
長男は三女の死と死体遺棄に関わっていたことにより傷害致死ならびに死体遺棄で東京家庭裁判所に送致され、その後養護施設に送られています。
東京地検は、この長男を傷害致死、死体遺棄罪で東京家裁に送致。同地検は「母親さえいれば起こりえなかった事件であり、長男には教育的措置が必要」として少年院ではなく、教護院へ送ることが相当との、異例の処遇意見を付けた。今回は長男が戸籍もなく、全く学校教育を受けていないなど特殊な事情があり、児童福祉施設の教護院で教育を受けさせる方が良いと判断したという。
引用元(dt73)
ちなみにマンションで発見されたときは長女と次女は衰弱していたために福祉施設に預けられています。
そして長男の友人2人は三女の死に関わっているので児童自立支援施設に送られています。
長男は母親のことを心配していた
驚くべきことは育児放棄して愛人のところに行った母親のことを長男は心配していたようです。
「なんで?」と思う人もいますが子供は親を選べませんからね。
どんな酷い目にあっても母親だったのでしょう。
巣鴨子供置き去り事件後、子供はどうなった?
判決が下り事件が一件落着となったところですがその後、母親、長女、次女、長男はどうなっているのでしょう?
長女と次女は母親が引き取ったそうですが、その後の状況に関しては不明となっています。
長男は学生生活を送るようになり生徒会長になったそうですが母親とは一度もあっていないそうです。
こんな悲惨な思いをした子供には大人になってから幸せな人生が歩めていることを願います。
巣鴨子供置き去り事件がモチーフになった映画が公開されている
巣鴨子供置き去り事件は今も語り継がれていて2004年にはこの事件をモチーフにした映画『誰も知らない』が公開されています。
この長男役を演じたのは柳楽優弥さん。
この映画にてカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞を獲得し話題になりました。
世間はこの映画を通して育児放棄について見直すいいきっかけになっているのではないでしょうか?
この巣鴨子供置き去り事件は母親の無責任が招いた悲惨な事件なので今後はこのようなことが起きないことを願います。