池袋通り魔殺人事件の犯人の造田博の生い立ちが壮絶で両親はギャンブル狂で蒸発している

1999年に東京都池袋で発生した池袋通り魔殺人事件。

白昼の繁華街で通行人が襲われ女性が2人が死亡、通行人6人が負傷しました。

この事件の犯人は造田博という人物で犯行の動機は何だったのか?

事件の詳細は?

犯人の造田博に下された判決は?

池袋通り魔殺人事件の詳細や犯人についてまとめてみました。

池袋通り魔殺人事件の詳細

平成の時代に様々な凶悪事件が起きていますが、その中でも有名なのが1999年9月8日に東京都池袋にある東急ハンズ池袋店の前で当時23歳だった男性が包丁で通行人に襲い掛かり女性2人が死亡そして6人が重軽傷を負った事件。

これは池袋通り魔殺人事件と言われ、今でも語られている事件です。

この事件の詳細をまとめると

サンシャインシティの地下通路からエスカレータで東急ハンズ正面入り口前に出た後、「アー!むかついた。ぶっ殺す」と大声で叫んだ。まずサンシャインシティのエスカレーターをのぼってきた夫婦2人を包丁と金槌で襲い、66歳女性を殺害した。次に東急ハンズ前に差し掛かった夫婦2人のうち29歳女性を包丁で刺し、殺害した。

犯人は60階通りを池袋駅方向に走り、その途中で私立高校の1年生4人グループのうち3人を切りつけ、さらに2人に切りつけた。その後、犯人は池袋駅前で通行人たちに取り押さえられ、その場で現行犯逮捕された

引用元(Wikipedia

あまりにも凶悪な事件でネット上では今でも有名な事件ですよね。

池袋通り魔殺人事件の犯人は造田博

犯人は当時23歳の男性で名前は造田博。

この事件で使われた凶器は包丁と玄能ですが、造田博はこの凶器を1999年9月4日に現場である東急ハンズ池袋店で購入しています。

この時に店員に怪しまれないためにまな板とドライバーを一緒に購入しているようです。

池袋通り魔殺人事件が起きたのが1999年9月8日なのですが、造田博は凶器を購入した翌日の9月5日から9月7日にかけてこの凶器を持って現場に行っています。

事件を起すまでの4日の間を、赤坂のカプセルホテルで過ごしていたそうです。

この期間は兄に迷惑がかかると思い犯行に及んでいません。

ただ1999年9月8日に池袋通り魔殺人事件が起きてしまいます。

犯人の造田博は何故このような事件を起こしたのか?

動機について見ていきましょう。

いつの時代も頭がおかしい奴っているもんやな
のんきな野郎
のんきな野郎



造田博が池袋通り魔殺人事件を起こした動機

池袋通り魔殺人事件の犯人である造田博は犯行動機についてこのように語っています。

『人生に絶望し、またどうしようもない環境的な不平等にイライラしたため』

そして直接にきっかけは事件直前に自分の携帯電話に無言電話がかかってきたことだそうです。

犯行当日に殺人を予告するレポート用紙をアパートの自室の扉の外側に張りつけていたそうで他にもこのように供述しています。

『真面目な人がさらにさらに苦しむ一方で、遊んで楽をしていられる身分の人たちがいることに嫌気がさした』

とのこと。

このことから造田博は複雑な環境で育ってきたようにも思えます。

池袋通り魔殺人事件の犯人・造田博の生い立ちは壮絶

池袋通り魔殺人事件の犯人である造田博の犯行動機を見ているとこれまで恵まれない状況で育ってきたことが分かります。

調べたところ造田博の両親はギャンブル依存症で4000万円もの借金を抱え、借金取りの対応を造田博がしていたようです。

犯人・造田博は当時23歳。東京都足立区に住む新聞配達員だった。岡山県倉敷市で生まれ育った造田は、両親がギャンブルで4千万円もの借金を抱え身をくらました後、高校を中退。借金取りが脅しに訪れる家を捨て、弁当販売店のアルバイト、パチンコ店店員、造船所の塗装工、住宅美装会社など、判明しているだけでも14回の転職を繰り返した。

引用元(デイリー新潮

このことから壮絶な人生を辿っているのが分かります。

造田博は両親の借金で人生を壊され進学を断念し経済的にも困窮していたようです。

そんな中で借金取りの対応を1人でしていたのですから頭がおかしくなるのも当然です。

そして造田博は1996年にも事件を起こしていて

小学校時代同級生であったある女性に好意を抱き、彼女に対して執拗なアプローチを行い、ストーカーのような行為にまで走ることがあった。

なお、1996年(平成8年)12月にはナイフを携帯したとして銃砲刀剣類所持等取締法違反罪で罰金刑に処せられた前科(1犯)がある

引用元(Wikipedia

このような生い立ちを見ると少し気の毒にもなりますが、何の罪もない人を殺害していいという訳ではありません。

造田博はアメリカに短期渡航経験がある

親の借金が原因で人生が狂い絶望した造田博は1998年にアメリカに短期渡航しています。

ロサンゼルス、サンフランシスコそしてポートランドと渡ったのですが滞在費が無く途中で生き倒れ日本大使館に保護されています。

この時の造田博は就職先もなく日本大使館の紹介で現地のキリスト教の牧師を紹介してもらい協会の手伝いをしながら衣食住を与えてもらい面倒をみてもらったようです。

造田博は『この時期が人生で一番充実していた』と語っています。

しかしこのアメリカでの暮らしもビザの執行と共に終了し日本に帰国。

その後は働いていたようですが、大学への進学も費用の面から挫折し再び人生に絶望したようです。

そして池袋通り魔殺人事件を起こしてしまったという流れになります。



造田博の両親がギャンブルにハマった原因

造田博の家族構成は両親と4歳年上の兄。

上記でも説明した通り両親がギャンブルで借金を作り蒸発していしまいます。

しかし造田博は幼少期の頃は普通の子供で将来はカーレーサーになりたかったようです。

頭も良くて岡山県内で有名な県立倉敷天城高校に進学しています。

造田博の両親が狂いだしたのは祖父の土地を相続しそれを売り多額の資産を得たことで働かなくなりギャンブルにハマり借金を作ってしまったからです。

そして造田博が高校2年の時に両親が蒸発したのですがその時に造田博も何とかしようと弁当屋で働いていたのですがどうすることも出来ずに高校を退学。

そこから大学生となり一人暮らしをしていた兄を頼り広島県福山市に移り込み仕事を転々としていました。

このことから両親に捨てられた後の造田博が頼るのは兄しかいなかったということになります。

このあたりから造田博は精神的な異常がみられるようになり苦労や努力が報われない事に不満を募らせるようになり仕事も長続きしなくなり資金も尽きてしまいます。

造田博は何度か兄の世話になっている

造田博は大学に進学したいと思っていても出来ず、仕事も長続きしなかったことからお金も無くなり広島にいた頃から万引きを繰り返すようになります。

コンビニで万引きした時にナイフを所持していたことから銃刀法違反に問われ罰金10万円の略式命令が出てこれを兄が立て替えたそうです。

このことから造田博は兄に迷惑をかけているのが分かりますが、恩義を感じているのは間違いないでしょう。

池袋通り魔殺人事件についても一度『兄に迷惑がかかる』と思いとどまった理由も分かります。

この生い立ち見ると気の毒になってくるわ
のんきな野郎
のんきな野郎



池袋通り魔殺人事件の犯人・造田博には死刑判決が下っている

造田博は現行犯逮捕され殺人罪および殺人未遂罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反・傷害罪、暴行罪に問われています。

そして造田博の弁護人は『事件当時、Zは心神喪失または心神耗弱状態だった』と主張していましたが、『責任能力に問題があったとは考えられない』と弁護人の主張が退けられています。

そして2002年1月18日に、東京地方裁判所にて死刑判決が言い渡されています。

この判決に造田博は不服として控訴しましたがこれが棄却され2007年5月2日付で死刑判決が確定しています。

まとめ

池袋通り魔殺人事件の犯人である造田博は2007年5月2日に死刑判決が確定。

犯行動機や生い立ちを見てみると気の毒になってしまい、元々は頭がよくて将来の夢もある人だったというのが分かりますのでね。

両親に人生を狂わされた訳であり、両親がまともならこのような事件は起きていないでしょう。

この事件を起こした時の造田博の両親はどのように思っているんでしょうね。



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