デヴィ夫人の若い頃は東洋の真珠と呼ばれるほど美人で高級クラブのナンバーワンだった!昔の職業などをまとめてみた

今バラエティ番組などで引っ張りだこのデヴィ夫人。

デヴィ夫人は現在(2023年)80歳ですが、そうは見えないほど美しくてアグレッシブですよね。

若い頃は相当綺麗だったようで東洋の真珠とも呼ばれていたようです。

そして以外にも昔は貧乏だったようでお金を稼ぐために女優業をしていたこともあるようです。

デヴィ夫人の若い頃の写真や昔はどんな仕事をしていたのかをまとめてみました

デヴィ夫人は若い頃『東洋の真珠』と呼ばれていたほどの美人

デヴィ夫人は日本生まれのインドネシア国籍。

以外にも日本人だったことに驚きですが、デヴィ夫人のプロフィールを簡単にまとめると

デヴィ夫人のプロフィール
本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
旧名:根本 七保子
生年月日:1940年2月6日
出身:東京都港区西麻布

ということからデヴィ夫人は現在(2023年)80歳という事でかなりの高齢であることが分かります。

これだけアグレッシブな80代はいないでしょうね。

そして今も見た目はセレブ感満載でいつまでも若々しいですよね。

デヴィ夫人は若い頃は『東洋の真珠』と呼ばれていたほどの超美人。

では昔のデヴィ夫人の写真を見てみましょう

学生時代

10代の頃のデヴィ夫人

19歳のデヴィ夫人

27歳の時のデヴィ夫人

30代の頃のデヴィ夫人

30代までのデヴィ夫人を見ていただきましたが学生時代のデヴィ夫人は今でも超美人と言われるくらいの美形ですよね。

本当に日本人かと思うほどですが、若い頃のデヴィ夫人は今と変わらず美しくスカルノ大統領の目に留まる理由が分かります。



デヴィ夫人は若い頃どんな仕事をしていた?

デヴィ夫人は若い頃どんな仕事をしていたのか?

調べたところ幼少期はとても貧しい生活をしていたそうです。

理由はデヴィ夫人の父親が大工の仕事をしていたそうですがお人好しでお金を取らずに仕事をしていたそうでデヴィ夫人の家族は貧しい状態でそこを抜け出すために15歳の時に女優になろうと『東芸プロダクション』の研究生として入団したそうです。

15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』にエキストラで出演しているそうでデヴィ夫人はエキストラとしてテレビや映画に出演しお金を稼いだいたそうです。

そして中学を卒業した後は定時制の高校に進学したようです。

このときもエキストラとして収入を得ていたようですが満足な収入が得られなかったことと父親が亡くなり母親が苦労していたことから「千代田生命保険会社」(現・ジブラルタ生命保険)に就職し昼休みの1時間は会社の近くの喫茶店でアルバイトをしていたそうです。

今じゃ考えられませんねw

昼休みにバイトってw

ただそれだけデヴィ夫人は昔、貧乏だったことが分かります。

デヴィ夫人は17歳で高級クラブ『コパカバーナ』で働いている

デヴィ夫人は高校を中退した後、17歳で赤坂の超高級ナイトクラブ『コパカバーナ』で働くことになります。

ここのお客はプライベートジェット持ちの大金持ちばかりだったそうで、ここで働くにも簡単ではないことが分かります。

デヴィ夫人は美貌だけじゃなく様々な努力をしていることが分かります。

ちなみに若い頃デヴィ夫人はコールガールをしていたという噂があります。

コールガールというのは今でいうところのデリヘルみたいなもんですね。

ただデヴィ夫人がコールガールをしていたという事実はありません。

おそらく『コパカバーナ』という夜のお店で働いていたことから噂が発展してコールガールをしていたと言われるようになったのではないかと思います。

そしてデヴィ夫人はこの『コパカバーナ』で人気ナンバーワンを獲得しこの時に女性を磨き一流の女性へと変貌を遂げていったようです。

デヴィ夫人は若い頃に総入れ歯にしたという噂は本当?

デヴィ夫人は若い頃に総入れ歯にしたという噂があります。

なぜこのような噂が出回ったのかというと過去にデヴィ夫人はインタビューにて「なぜ総入れ歯にしたのか?」という質問に対し「見栄えがいいから」と答えています。

このことからデヴィ夫人は総入れ歯にしたと思いますよね?

ただ2018年3月にデヴィ夫人が出演した番組で若い頃に総入れ歯にしたというのがデマだったことが判明します。

過酷なロケなど78歳とは思えないパワフルなタレント活動を繰り広げるデヴィ夫人。元気の理由は歯にあるのではと、都内の歯科医院でレントゲン撮影を含む精密な歯科検診を行った。その結果、現在虫歯が一本もないだけでなく、過去に虫歯の治療をした形跡もないことがわかった。

診察した医師は「78歳で歯が全部あるのがすごい。これはすごいことです」と称賛。もともと28本ある歯の、70代での平均は18本。治療の痕跡もなく28本全部が残っていることは奇跡的だという。医師は「二十数年で本当に今まで出会ったことないんじゃないかと」と驚きを隠せなかった。

引用元(スポーツ報知

このことからデヴィ夫人の歯は28本すべて残っている事が判明していて若い頃から毎日5回以上歯磨きをしていてさらには虫歯になりにくい体質だそう。

そして骨密度は58歳くらいで筋肉量は30~40代と診断されています。

デヴィ夫人は80代になっても体は若いままというのが分かります。



デヴィ夫人は若い頃に実家を出てアメリカ人と同棲をしている

デヴィ夫人は17歳から赤坂の高級クラブ『コパカバーナ』で働いている事が分かりましたがここで働く経緯としてはジェームズ・ベッカーというアメリカの宝石商がデヴィ夫人をここに連れていったからです。

そしてデヴィ夫人は17歳でこのジェームズ・ベッカーと同棲をしています。

当時の事をデヴィ夫人は着せ替え人形のように私を着飾りどこへでも連れていってくれたと語っています。

ジェームズ・ベッカーは家族がホノルルに住んでいて自身は表参道にある高級マンションに暮らしていたそうでデヴィ夫人は貧乏からいきなり金持ちへの階段を登ることになります。

若くして高級マンションで外人と同棲・・・

今の芸能界じゃなかなか聞きませんよね。

デヴィ夫人は若い頃にスカルノ大統領と出会っている

デヴィ夫人が若い頃どんな仕事をしていたかを説明しましたが超高級クラブで人気ナンバーワンになるというのは相当な努力が必要であることが分かります。

大金持ちはただ可愛いだけじゃ寄り付きませんからね。

大金持ちを引き寄せる何かがデヴィ夫人にはあったのでしょう。

そしてデヴィ夫人の人生の転機ともいえるインドネシアの初代大統領であるスカルノ大統領とは1959年6月に出会っていて当時デヴィ夫人は19歳。

映画を見るときにたまたま友人に誘われ立ち寄った帝国ホテルのパーティーで出会ったようです。

ここでスカルノ大統領との親交を深め、その後スカルノ大統領から手紙をもらい2週間の予定でインドネシアに渡ったそうです。

そこでデヴィ夫人はスカルノ大統領にプロポーズされることとなります。

そして19歳にしてスカルノ大統領の第3夫人になりシンデレラストーリーを実現したデヴィ夫人。
27歳の時に娘であるカリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんを出産しています

デヴィ夫人の娘の名前はカリナで仲が悪かったが今は仲良しで孫もいて超優秀

年の差が39歳という超年の差婚でありこの当時は大騒ぎだったようです。

このことからデヴィ夫人は若い頃から凄い経験をしているのが分かりますよね。

この結婚がデヴィ夫人が『根本 七保子』から『デヴィ・スカルノ』に変わる大きなきっかけです。



デヴィ夫人は若い頃に両親とスカルノ大統領を亡くしている

若くしてスカルノ大統領の妻になりシンデレラストーリーを築いたデヴィ夫人。

大統領との結婚という事で前代未聞の出来事にマスコミが大騒ぎしデヴィ夫人の実家にも執拗に取材が来ていたようです。

これが原因でデヴィ夫人の母親である政子さんが体調を崩してしまい亡くなっています。

さらにその2日後にセールスマンに全財産をだまし取られデヴィ夫人の弟である八曾男さんが自宅で自殺をしています。

シンデレラストーリーを実現したデヴィ夫人は若くして家族を失い天涯孤独になってしまっています。

デヴィ夫人はこの当時の事を「いつまでも心を離れない悲しいトラウマ」と語っています。

このことからデヴィ夫人は昔からずっと苦労が絶えなかったわけです。

光あるところには影があるとはよく言ったもんです。

デヴィ夫人が30歳の時にスカルノ大統領が死亡している

デヴィ夫人の母親と弟が亡くなった頃、スカルノ大統領はクーデターを起こされ失脚していたそうでこの時デヴィ夫人はフランスに亡命しています。

19歳でこんな経験してるってヤバいですよね。

デヴィ夫人は若い頃にこんな経験をしてるんですね。。。

そして27歳の時にインドネシアに帰国しようとしたそうですがインドネシアから拒否されその3年後にスカルノ大統領が死亡しています。

この時デヴィ夫人は30歳です。

デヴィ夫人はスカルノ大統領の遺産を相続している可能性がある

若くして家族と旦那を失ったデヴィ夫人。

スカルノ大統領が亡くなった後は遺産を相続しているようでさらに現在もインドネシア国民なので大統領の元妻ということから一般の人よりも年金は多くもらっているでしょう。

このことからデヴィ夫人が今もセレブで入れる大きな要因は大統領の遺産と多額(?)の年金ではないかと考えられます。

これは若い頃から苦労して今に至るまでに様々な困難を乗り越えたデヴィ夫人だからこその恩恵ですよね。



デヴィ夫人は若い頃にフランスに亡命している

フランスに亡命したデヴィ夫人は『インドネシア元大統領夫人』として社交界デビューを果たしていてこの時にデヴィ夫人は『東洋の真珠』と呼ばれていました。

若い頃のデヴィ夫人を見てもそれは言うまでもないですしとてつもなく美人ですからね。

デヴィ夫人は若い頃、大物キラーだった

デヴィ夫人はフランスで社交界デビューを果たしていた頃『大物キラー』だったようでアランドロンさんやスペイン人のフランシスコ・パエサやフランスの貴族、エルゼアル・ド・サブラン=ポントヴェスとも婚約していたようです。

結局は破局してしまっていますが、若い頃のデヴィ夫人の大物キラーぶりを超える人は出てこないでしょうね。

まとめ

デヴィ夫人の若い頃についてまとめると
・幼少期は貧乏だった
・17歳から高級クラブで働いている
・19歳でスカルノ大統領の妻になっていて家族を亡くしている
・30歳でスカルノ大統領を亡くしてフランスに亡命している

こんな感じでしょうか。

あくまでデヴィ夫人が30代の頃までの話ですが、昔相当な苦労をしていることが分かります。

こんな経験をしているデヴィ夫人ですから他に同じような体験をしている人なんていませんから今後TVで見なくなるとか消えるなんてことはありえないでしょうね。

ただ改めて若い頃のデヴィ夫人は綺麗だと思います(笑)



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