女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は出所後も犯罪を犯している!現在の状況など徹底調査

1988年11月から1989年1月の間に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件。

当時17歳の女子高生が不良グループに拉致され暴行、強姦を受け続け最終的には死亡し遺体をコンクリート詰めにされて遺棄された悲惨な事件。

この事件は現在でも語られている事件ですが、犯人はどんな人物なのか?

犯人は現在何をしている?

被害者の女子高生はどんな人物?

犯人の不良グループに下された判決は?

女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細をまとめてみました。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者は古田順子

女子高生コンクリート詰め殺人事件は1988年11月から1989年1月の間に発生した猥褻略取誘拐・監禁・強姦・暴行・殺人・死体遺棄事件の通称です。

1988年11月25日の夕方に埼玉県三郷市戸ヶ崎を自転車で走行していた女子高生が不良グループに突然拉致され約40日間グループのたまり場であった東京都足立区綾瀬にある自宅に監禁され暴行・強姦を受け続け1989年1月4日に集団リンチを受けて死亡。

そして女子高生の遺体はコンクリート詰めにされて東京都江東区の東京湾埋立地に遺棄された悲惨な事件。

その被害者である女子高生は古田順子さん。

この事件は凶悪な少年犯罪で当時、世間に大きな衝撃を与えましたが今でも語り継がれている事件です。

被害者の古田順子が受けていた拷問内容

1989年3月29日に被害者の古田順子さんの遺体が現場で発見された事で捜査が始まり翌日の3月30日に不良グループの少年AとBを殺人・死体遺棄容疑で逮捕。

そして犯行現場となった自宅に住む兄弟3人も殺害に関与した疑いがあり他2人の少年含め5名の少年を取り調べる方針を決めています。

暴行、強姦により死亡してしまった古田順子さんはどんな事をされていたのか?

分かっている内容を簡潔にまとめると

古田順子が受けていた拷問内容
①顔が変形するほど殴られ手足の一部が焼けただれていた
②口や手足を押さえ付けて馬乗りになる
③陰部にマッチの軸木を挿入して火をつける
④足首にライターの火を押し付けて火傷を負わせる
⑤寒い夜中、少女を半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませる
⑥栄養失調になるまで放置

このような内容の事を古田順子さんは受けていたようで他にもあるようで挙げていけばキリがありません。

古田順子さんは拉致されてからの40日間は地獄だったでしょう。

人間のすることとは思えないですが最終的にはキックボクシング練習器の鉄製脚部で多数殴られほとんど反応を示さなくなり死亡してしまったとのことです。



女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人グループまとめ

女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯格は4人いて当時未成年だった少年。

そこに3人が暴行に加わり1人が監禁の監視役だったようです。

この主犯格の名前と写真が公開されているのですが、当時は未成年に関して少年法で守られていたため名前は公開されていませんでした。

しかし当時の文藝春秋の花田編集長が『野獣に人権は無い』という理由で実名報道を決断しています。

ではこの主犯格4人の名前と写真を見ていきましょう。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人①【宮野祐史(少年A)】

当時18歳だった少年Aの宮野祐史。

中学時代は柔道をしていて柔道軽量級の有望選手だったようです。

宮野祐史は証券マンの父とピアノ教師を営む母の間に生まれ父親は子育てに関心を示さず、母親は宮野祐史からの家庭内暴力におびえていたとのことです。

そして高校に入学し中退。

その後はタイル工として働いていたようですが半グレ集団を作り女子高生コンクリート詰め殺人事件を起こしてしまいます。

この事件の犯人のリーダーとも言える存在です。



女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人②【小倉譲(少年B)】

続いては当時17歳で少年Bと言われていた小倉譲

小倉譲は両親が離婚するなど幼少期から恵まれた環境ではなく高校に入学したものの1年生の2学期に中退し女子高生コンクリート詰め殺人事件に関与します。

この事件の現場となったのは小倉譲の自宅であり当初は被害者の古田順子さんをすぐに開放するつもりだったようですが、主犯格の宮野裕史の話に興奮した小倉譲は『女を帰さないでください』と言った事から事件に発展してしまったようです。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人③【湊伸治(少年C)】

当時16歳だった少年Cの湊伸治。

足立区の名門中学校を卒業して都内の化学専門工業高校に進学したものの宮野裕史と仲良くなったことから事件に加わります。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人④【渡邊恭史、岩井哲夫、垣東孝一】

上記が顔と名前が公開されている女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人ですが少年Dと他にも関与している犯人は公開されてはいないのですが加わっていたのではないかとされている犯人の実名がネット上では公開されています。

それが渡邊恭史、岩井哲夫、垣東孝一の3人。

具体的なことは判明していませんが、この7人が女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人グループと言われているようです。



女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人に下された判決

犯人グループの主犯とも言える4人が逮捕された後に東京地裁から判決が下されています。

下された判決をまとめると

犯人グループに下された判決
①宮野祐史(少年A)
第一審東京地裁(1990年7月19日判決)にて懲役17年
控訴審東京高裁(1991年7月12日判決)にて懲役20年

②小倉譲(少年B)
第一審東京地裁と控訴審・東京高裁にて懲役5年以上10年以下の不定期刑

③湊伸治(少年C)
第一審東京地裁で懲役4年以上6年以下の不定期刑
控訴審東京高裁で懲役5年以上9年以下の不定期刑

④少年D
第一審東京地裁で懲役3年以上4年以下の不定期刑
控訴審東京高裁で懲役5年以上7年以下の不定期刑

このような判決が下されていて『判決が甘すぎる』という声が相次いだようです。

これらの判決からも分かりますが犯人グループの4人は現在(2023年)出所していることが分かります。

『女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は今何してる?』と思っている方もたくさんいるようで分かっている犯人の現在をまとめましたので見ていきましょう。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は現在何をしている?

こんな悲惨な事件を起こした犯人が現在(2023年)のうのうと生きているのが許せないと今も声が挙げている方がいます。

たしかに成人であれば死刑もしくは無期懲役になる可能性が高いのですが、未成年と言う事から上記のような判決が下り現在(2023年)も生きているのは間違いありません。

そんな犯人は現在(2023年)に至るまでどのような暮らしをしていたのか?

調べて判明した事をまとめましたのでご覧ください。

宮野祐史(少年A)の現在

コンクリート事件の主犯格である宮野祐史は2009年に刑期を終えて出所しています。

服役中は模範囚で20年に満たない刑期で仮出所する可能性もあったようですが、性犯罪の事件が色々と問題になった影響もあり仮出所が無くなったと言われています。

2009年に出所した宮野祐史は当時関西方面に住んでいて保護司と養子縁組をして名前を『横山祐史』と改名しています。

そして2013年に振り込め詐欺のメンバーとして2度目の逮捕となっています。

2013年1月10日に無作為に個人宅に電話をして『パチンコ必勝法がある』と現金をだまし取ったということで逮捕されているのです。

そして2017年に『実話ナックルズ』にスクープされていてキックボクシングのジムに通い高級時計を付けて羽振りの良い生活をしていたとされています。

これに関しては真面目に働いて稼いだお金では無くてマルチ商法など不正な手段で儲けたお金だったようです。

この情報は宮野祐史の弟分と言われている人物からの情報提供です。

そして現在(2023年)どこに住んでいるのかは不明ですが2度目の逮捕の時は東京都多摩市に住んでいたようです。



小倉譲(少年B)の現在

女子高生コンクリート詰め殺人事件のサブリーダーだった小倉譲。

小倉譲は1999年8月3日に出所して当時は中国人と結婚して中国に行こうとしたようですが離婚。

そして2002年にコンピューター関係に会社に勤務していましたが退職しています。

服役中にコンピューターの技術を身に着けたようでそのままコンピューター関連の会社に勤めたようです。

出所後に保護司の神作久子と養子縁組になり苗字を神作と改名していますがネット上に普及されている情報から過去の犯行がすぐにばれています。

そしてコンピューター関連の会社を退職後は定職に就くことなく山口組系3次団体に属していたようです。

そして2004年6月に『三郷市逮捕監禁致傷事件』を起こし再逮捕。

この事件では懲役5年の刑が言い渡されていて2009年に2度目の出所。

その後は現在(2023年)に至るまで消息は不明ですが大阪府泉大津市に潜伏しているとか結婚して子供がいるなどの噂がありますがどれも信憑性がありません。

湊伸治(少年C)の現在

湊伸治は最終的に懲役5年以上9年以下という不定期刑だったので正確にいつ出所したかは分かっていませんが間違いなく2000年までには出所しているはずです。

湊伸治は出所後は運送会社で働きながらムエタイに取り組みプロデビューしています。

しかしプロとして試合をしたのが2試合でいずれも負けています。

その後女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人だったというのが周囲に知られるようになりそのまま消えてしまったとのこと。

湊伸治が現在にいたるまでに判明している事としては2006年にルーマニア国籍の女性と結婚していたようで娘もいるという噂があります。

そして2018年8月19日の夕方に埼玉県川口市で32歳の男性を警棒で殴った後にナイフで後頭部を刺し殺人未遂で逮捕。

近隣でもトラブルが絶えなかったようですし残酷な事件の犯人は出所してもク〇であることは変わりなさそうです。

このことから湊伸治は現在は服役中であるのは間違いないでしょう。

さらに湊伸治の両親は共産党系の診療所に勤務していて2人とも共産党員だったとの事です。

現在も色々と噂が絶えない女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人ですが、共通して言えるのは暴力に対して抵抗が無いということです。



女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者である古田順子の遺族は?

残酷な拷問、強姦を受け亡くなってしまった女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者である古田順子さん。

古田順子さんの遺体は肉親でさえも我が子と判別が出来ない状態だったようです。

〈直径60センチ、高さ90センチのドラム缶に、身長165センチのE子さん(埼玉県立八潮南高校3年=17 本文では実名)は、しゃがみ込むような恰好でコンクリート詰めにされていた。
コンクリートを砕くのに手間取りましたが、遺体が出た瞬間、あまりのむごさに顔をそむける捜査員もいたほどです。(中略)肉親でさえも我が子と識別できなかった」(捜査関係者)
E子さんの遺体は、「人間をそのまま缶詰にしてしまったような状態」(同)まで腐乱が進んでいたが、殴る蹴るのリンチを全身に受けたため、皮膚の色は、顔は言うに及ばず、どこもかしこも真っ黒だったという。〉

引用元(PRESIDENT

こんな状態の娘を目の当たりにした両親は精神状態を正常に保てるわけがありません。

こんな悲惨な事件で愛娘を無くした遺族の方々は現在(2023年)どのように暮らしているのか?

被害者の古田順子さんの両親は自殺したとも言われているようですが事実を確認できない事からこの可能性は低いと言えるでしょう。

コンクリート事件により娘との思い出が詰まった自宅で暮らすのが精神的な負担が大きいという事から遺族は事件後どこかに引っ越したという事が確認されています。

まとめ

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は4人でそこに関与していたのが3人。

犯人は現在(2023年)もどこかで暮らしているようですがこんな事件を起こした犯人が今もどこかにいるのが信じられません。

暴力が当たり前の連中なのでまた犯罪を犯す可能性が高そうですが、次に犯罪を犯したら無期懲役か死刑にすればいいと思います。



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1 COMMENT

masamitu himeno

日本の司法制度は少年犯罪に甘すぎるだろ。
主犯は死刑にすべきだった。
 そうすれば、少しはビビって、犯罪も減るはずだ。

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